無印良品

無印良品の「これでいい」

このメッセージを無印良品が発表したのは2002年。私もまだ学生の頃です。

学生ながらにも何か心に響くものがあり、いろいろ考えるきっかけになりました。

無印良品の未来

【一部文章を抜粋】

無印良品はブランドではありません。無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に反映させません。無印良品は地球規模の消費の未来を見とおす視点から商品を生み出してきました。それは「これがいい」「これでなくてはいけない」というような強い嗜好性を誘う商品づくりではありません。無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。つまり「が」ではなく「で」なのです。
 しかしながら「で」にもレベルがあります。無印良品はこの「で」のレベルをできるだけ高い水準に掲げることを目指します。「が」には微かなエゴイズムや不協和が含まれますが「で」には抑制や譲歩を含んだ理性が働いています。一方で「で」の中には、あきらめや小さな不満足が含まれるかもしれません。従って「で」のレベルを上げるということは、このあきらめや小さな不満足を払拭していくことなのです。そういう「で」の次元を創造し、明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること。それが無印良品のヴィジョンです。

この文章を読んで一番初めに思ったのは「無印良品ってもうブランドになってるじゃん」ということでした。無印良品自体はブランドと思っていなくても、消費者にそのように認識されたらそれでもうブランドとして成り立つんだなと思いました。

「これがいい」

「これがいい」という言葉について考えてみる。

「これがいい」という言葉を使う場面はどんな時でしょうか?

私の場合は私自身の「趣味」「趣向」で譲れないものを指すときに使う言葉と捉えました。これには「モノ」だけではなく「コト」も含まれると思います。自分自身の趣味の物ややりたいことなどは皆さん「これがいい」になるんじゃないでしょうか?_

上記の本文では「エゴイズム」や「不協和」と強い言葉で書かれていますが、私はその言葉を使うほど悪いことだとは思いません。誰にだって「趣味」「趣向」はあるものだと思います。

自分自身の中に「これがいい」というものをはっきり持っている人は人生を豊かにする「趣味」「趣向」を持っていてむしろ良いのかな?とも思ったりさえします。

例えば、PCゲームを趣味にしている人にとってはPCのスペックは「これがいい」になるでしょうし、カメラを趣味にしている人にとってはレンズのスペックは「これがいい」になるでしょう。

ただ一方であまりに「これがいい」が強すぎると、人に強要したり、お金を使いすぎたりしてしまうなどマイナスの側面があるのも事実だなとも思います。

「これでいい」

「これでいい」という言葉について考えてみる。

同様に「これでいい」という言葉を使う場面はどんなときでしょうか?

振り返って考えてみると、「もっと良い品質の商品はある、でもこの品質で十分なんだよね」という認識で買い物をする時がそうなのかな?と思います。

例えば、あまり料理をしない人が電子レンジに多機能を求めることはおそらくないでしょうし、ブランドにこだわらない人であれば、似たようなもので品質が担保されていれば無駄にブランド品を購入することもないと思います。

上記のメッセージには「で」のレベルと表現されています。また「理性的な満足感」や「あきらめ」「不満足」といった言葉でも表現されています。この文章は個人の価値観によって「で」のレベルが変わるんだろうなと思っています。

人によっては「あきらめ」の「で」であり、別の人にとっては「理想的な満足感」の「で」にもなりうる。ただ無印良品はその「で」のレベルを上げていくことによって、「理想的な満足感」を得ることのできる商品を増やしていくと明言しているところが個人的に好きです。

「理性的な満足感」を意識しながら趣味や買い物など生活をしていくと「自身の大切にしている価値観」というものを見つける指針になりそうですね。

2002年も2023年も同じ

【一部文章を抜粋】

現在、私たちの生活を取り巻く商品のあり方は二極化しているようです。ひとつは新奇な素材の用法や目をひく造形で独自性を競う商品群。希少性を演出し、ブランドとしての評価を高め、高価格を歓迎するファン層をつくり出していく方向です。もうひとつは極限まで価格を下げていく方向。最も安い素材を使い、生産プロセスをぎりぎりまで簡略化し、労働力の安い国で生産することで生まれる商品群です。
 無印良品はそのいずれでもありません。当初はノーデザインを目指しましたが、創造性の省略は優れた製品につながらないことを学びました。最適な素材と製法、そして形を模索しながら、無印良品は「素」を旨とする究極のデザインを目指します。
 一方で、無印良品は低価格のみを目標にはしません。無駄なプロセスは徹底して省略しますが、豊かな素材や加工技術は吟味して取り入れます。つまり豊かな低コスト、最も賢い低価格帯を実現していきます。

2002年といえばファストファッションブームでした。安く商品を仕入れ販売する販売手法がもてはやされていましたね。今は影を潜めましたが、なくなったわけではありません。

結局のところ二極化は現在も続いている状況です。

この頃の無印良品は確かにノーデザインの商品が多かったように思えます。無地のシャツやボーダーのシャツ。機能性ひとつのトートバッグなど。今から考えると物足りなさはあったと思います。この辺りから無印良品は「素」という意味を考え抜いたデザインを考えると明言しています。正直究極すぎて受けれられていない商品もたくさんあると思います。みる人からすれば素晴らしい、一方で見向きもされない無関心になる商品もあります。

今でこそSNSやテレビなどで放映され、埋もれていた良品に焦点が当てられお客様の手に渡る機会が増えています。2002年には考えられなかったことです。

最後に「無印良品は低価格のみを目標にはしません。」と明言しています。働いているうちに分かったことですが、「無印良品なのに高い」という言葉をよく耳にします。

正直にいえば、メッセージの出し方がお客様に伝わる出し方ではなかったんだろうと思っています。なんせ私も働くまでは「無印良品は安いものだ」と思っていたくらいですから。

「豊かな低コスト」とは

「豊かな低コスト」って難しいですよね。

個人的な解釈ですが

ひとつ目は「理性的な満足に足る品質や機能とデザイン」

ふたつ目は「不当な利益を追求しない」

この2つが組み合わさったものだと解釈しています。

このように解釈すれば衣料品や家具、食品などは必要最低限で作られた低コストの商品であるということにつながると思います。ここには「これがいい」「これでいい」の人の価値観で安いと感じたり、高いと感じたりするのだと思います。

ひとりひとり「豊かな低コスト」というものを考えてみれば、それぞれに答えがあって面白そうですよね。上記に記載したのはあくまで私の考える解釈なので、「自分だったら?」という視点で普段の生活や買い物などを考える良いきっかけになりそうです。

まとめ

今回は無印良品の「これでいい」という考え方について私なりの解釈を勝手に含めて書いてみました。

「理性的な満足感」という言葉がどのようなモノやコトを指すのか考えれば無印良品に限った話ではなく「意図した充実した生活」につながるような気がします。

また「これがいい」という言葉が悪いわけでもなく、自分の価値観で「これでいい」と「これがいい」を使い分けることも大切だなと思う言葉です。

最後の「豊かな低コスト」に関してはまさに「これでいい」と「これがいい」の混ざった価値観だなと思います。人の価値観によって「高い」「安い」と感じることも多くあるはずなのでひとりひとりの価値観があって成り立つものだなと改めて思いました。

今一度「自身の価値観」というものを振り返って考えてみて、本当に必要なモノやコト、実は惰性で買っていた(もしくはやっていた)モノやコトの棚卸しをしてみるときっと生活は充実したものになるんだろうなと思います。

本来であれば「無印良品の未来」の全ての文章を記載することが望ましいとは思っていますが、今回は人の価値観に焦点を当てたため一部文章の抜粋をしました。

興味のある方はこちらのページで全て読んでみてください。

ちなみに冒頭にある写真は「ウユニ塩湖」です。行ってみたい。一緒に行ってくれる方募集中!

じゃぁねー!